テクノポップと言われる音楽が発生してから、30年近くになる。
テクノが他の音楽と根本的に違う点は、演奏行為の主導権が機械側にあるという点である。
従って、テクノとは音楽の1ジャンルではなく、方法論であると言った方が正確である。
自動ピアノというものが存在するが、これは演奏の記録であって、あくまで演奏行為の主体は人間サイドにある。
受け手側にはあまり意識されないが、この点において、テクノはそれ以前の音楽と全く異質の音楽である。
音楽の作り手側においても、当初この考え方は理解しづらいものであった。
音楽は人が演奏するものであるという事が、大前提であった。
テクノ以前にも、電子楽器を使った音楽は色々あった。しかし、楽器と指先との間には紙一重の安全地帯があった。
テクノにはその安全地帯が無い。
この事が人間の音楽経験に与えた影響は計り知れない。
それまで作曲や編曲という行為は、演奏する人を介して初めて音楽として表現出来るものであった。
しかし、テクノにおいてはたとえ演奏能力が劣っていても、作曲・編曲能力さえあれば自分一人で音楽を表現することが可能となった。
平たく言えば、一人でもバンドサウンドを表現出来るようになったという事である。
富田勲に至っては、フルオーケストラに相当する音を、一人でコントロールしている。
テクノと言えば、シンセサイザーをコンピューターで自動演奏させるというイメージが強いが、サンプリングされた楽器の音を自動演奏することも可能である。
従って、聴き手が生演奏と思っている音楽の中にも、テクノは浸食して来ている。
また「初音ミク」を初めとする、音声合成ソフトの普及により、歌声さえも自動演奏の対象となった。
極端な話、楽器が全く演奏出来なくとも、色々な音楽表現が可能となったのである。
しかし、この世界にもタダ飯はない。
テクノ以外の音楽では、演奏行為そのものに音楽性を持たせる事が出来る。
解りやすく言うと、音符そのままではなく、少しつっこみ気味、少し遅れ気味という、所謂「のり」を付加することが可能である。
しかし、テクノは作曲・編曲能力のみで勝負しなければならない。
演奏家の力量が入り込む余地がない分、非常に厳しい世界である。
従って、テクノ以外の音楽家が演奏技術の訓練を行うように、テクノの音楽家はよりイマシネーションの訓練を行う必要がある。
「初音ミク」の登場後、これを使用したおびただしい量の音楽がネット上にアップされたが、聴くに堪えうるものは、Livetune等、極めて少数である。
Perfumeのブレイクにより、テクノが注目されるようになった。
クラフトワークからのファンとては、大変喜ばしい事である。
またハード・ソフトともに、コストダウンが進んでいるので、この音楽への参入障壁は極めて低くなって来ている。
経済的な理由や、身体的な障害から音楽表現に手が届かなかった人たちにも、道が開けて来た意義は大きい。
これからも、益々テクノに注目していきたいと思う。