ここ1、2年の経済状況を見ると、スマートフォンの周辺のみが潤っているのでは、と感じている人も多いと思う。
事実、スマートフォンは世界的に見ても驚異的なスピードで普及してきている。
昨年12月18日付の日経電子版の記事「思惑外れのiPhone5c買い始めた中国労働者の本音」によると、発売当初は不振であったiPhone5cを、中国で平均的な収入の人たちが買い始めているとしている。その理由は「給料の1ヶ月分まで値が下がってきたから」だそうである。彼らにとって、給料1月分を投じる価値がある物なのである。
このようなスマートフォンへの需要を一時的な流行と見る向きもあるが、僕はそう思わない。
スマートフォンへの需要は、「物事を空間的にも人間的にも近くへ引き寄せようとするする、現代人の切実な欲望(注)」に根ざしていると思うからである。
印刷や写真、映画、レコード、放送等、情報や文化の等質な複製が可能となったのは、産業革命以降(印刷はもっと前から)の科学的進歩の賜物である。
しかし、それらの「複製文化」を受け入れ、爆発的に普及せしめたのは、「自由と平等」に目覚めた現代人が持ち始めた「物事を近くへ引き寄せようとするする、現代人の切実な欲望」に他ならない。
このような「切実な欲望」を持っている現代人は、様々な機能を小さなボティに併せ持つスマートフォンを、その究極の標的として認識しているに違いない。
既にPC市場、カメラ市場、携帯プレーヤー市場、ゲーム市場がスマーフォンに浸食されてきている。
これからもスマートフォンは、ブラックホールのように人々の欲望を吸い込み続けて行くだろう。
(注)
「物事を空間的にも人間的にも近くへ引き寄せようとするする、現代人の切実な欲望」というのは、「複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)」(ヴァルター・ベンヤミン)からの引用です。