Twitterによってもたらされた、ネット空間のアウラたち。

「アウラ」とはヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)が「複製技術時代の芸術」の中で述べている「ここにしかなく、かつ今しかない」という概念である。
「複製技術時代の芸術」(以降、複製芸術と略す)とは、絵画や演劇や演奏会のような、「ここにしかなく、かつ今しかない」芸術(=オリジナル芸術)に対して、写真や映画やレコードのように「等質のものが、同時にいくつも存在する」芸術の事を言う。

「複製芸術」は主に産業革命以降の科学技術によって成り立っている。
したがって、「オリジナル芸術」に対して歴史的には極めて新しいものである。
ベンヤミンは「等質のものが、いくつも存在する」という事が、人間が永く培ってきた芸術体験そのものを、大きく変化させていると指摘した。「複製芸術」では「アウラ」は完全に破壊されているが、「等質のものがいくつも存在する」という事が「オリジナル芸術」にないアクチュアリティを生み出している。

芸術と言わないまでも、科学的に複製された文化や情報には、「アウラ」は存在しない。
テレビの実況中継も「今しかない」が「ここにしかない」わけではない。
インターネットも例外ではなく、閲覧環境が同じならば、同じURLを入力すれは、同じものが見える。
そもそも、インターネットは色々な情報を「共有」するのが大きな目的の一つだから、当然である。

しかし、Twitterはウェブサービスでありながら「アウラ」の香りを強く放っていると僕は感じている。
「つぶやきを共有する」という点からすると、他の共有サービスと同じように思えるが、各アカンウントのタイムラインは「今にしかなく、かつここにしかない」からだ。
今見ているタイムラインはここだけのものである。しかも、瞬く間に手の届かない過去へ消えていく・・・

僕はこのせつなさこそが「アウラ」の特質と思っている。
この点こそが、Twitterが今までのウェブサービスと根本的に違う所ではないだろうか?

Sponsored Links

Add a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください